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この夏、大阪代表として甲子園に出場した履正社でしたが、一回戦で岩手代表校に敗退。アナウンサーの「大阪代表校が岩手代表校に敗れるのは史上初です」が記憶に残っています。
履正社岡田監督若いですねぇ。確か履正社の小川投手は女性にモテモテでした。
確かこの年、履正社は、初出場で初戦敗退したがこの年の決勝は、智弁和歌山対平安だったのを思い出されるね。😊
この頃の大阪、おもしろかっただろうな~。
この夏は履正社、大阪桐蔭に勝ちましたね。大阪桐蔭も今のような常勝でなければ、履正社もまだ強豪との地位を築いてない時代でしたけど。
1997年の甲子園への道かぁ、懐かしい。赤江珠緒アナの声が聴こえるw
何でこのピッチャーが大阪で優勝??というコメントが散見されますが、この履正社の小川投手は、小学生の頃は寺内メッツというチームで大阪府下で無双状態で、小学6年生の頃からPL学園からスカウトが来てた。
それでも同年春の上宮が相当完成度高かっただけに、意外な結果だったのでしょう。翌年松坂世代では、映像に映っている関大一の久保投手が、やはり相当ハイレベルな投球をし、総合力も高かったですから。振り返ると、結果的に完全に大阪谷間の年になってしまいました。初戦はヤクルト畠山のお兄さんがエースだった専大北上に負けたとはいえ、当時まだ弱かった岩手に負けたわけで。そして何よりも173センチ、60キロの軟投派投手が、まさかあの地獄の大阪を勝ち抜いただなんて、それこそ首都圏出身で、大阪の事情をよく知らない我々からしたら、??という反応しかなかったです。全国区では、当時平安川口が主役として報道されており、彼とは真反対にも程があるタイプの投手でしたから、最後まで、えっ!?なんで!?関西最強の大阪からは、川口をも打ち砕くような大型チーム、剛腕エースが夏こそ出てくるはずでしょ!?と言う感じでした。
6:46 投げ方凄いな
CG?AI?
夏の大阪大会決勝が豊中市にある学校と吹田市にある学校の北摂対決って珍しいですね
履正社が選手権優勝した時も寺島の時も予選決勝は高槻の金光だしそれほど珍しくもない
2018年大阪桐蔭史上初の春夏連覇に平成最後のチャンピオンに、2019年令和の新王者誕生履正社高校初優勝しました、
大阪桐蔭の優勝は春4回、夏5回、春夏連覇2回制覇しプロ野球選手とメジャーリーグな盛ん、中田翔、藤浪晋太郎、根尾選手など。
日生球場最後の試合から新時代が幕を開けた訳ですな。
やっぱ若いっていいなぁ 岡田監督も覇気がある
履正社、春夏通じて初めての甲子園出場。甲子園では初戦9回2-0から粘って2-1にして二塁、三塁とチャンスを広げるが、最後はホームスチール失敗という何ともわけのわからない終わり方でゲームセット。
関大一惜しかったけど、翌年甲子園春夏連続出場しセンバツ準優勝!夏8
この年は松坂世代の前年の年やな関大一校は久保で選抜準優勝
改めて松坂世代って恐ろしい。何であの代にあれだけ固まったのだろう?2年生夏のこの段階で殆どがレギュラーを取っていて、藤川球児は実際この年の夏に甲子園。豊田大谷の古木もこの年の夏から2年連続。この年は決勝で堀越に敗れ、甲子園に行けなかった東京の創価にも既に2年生の小谷野がレギュラーとして大活躍。
岡田監督がすげー若い
現在は、東洋大姫路高校の監督ですね
監督の選手時代とか見ると若いなって思う。当たり前だけど。
この年は、上宮がスター集団と言われ、大学生すら上宮に勝てないと言われていた。その上宮を4回戦で撃破したのが関大一高。余裕をかます上宮に、必死に食らいつく関大一高。なかなか優位に試合を進めれずに上宮は徐々に焦りが見え、大応援の関大一高が一気に押し込んだという試合でした。翌年大ブレイクする2年生の久保投手は、当時はエース橋本投手に全く及ばず、連投対策で春日丘戦に唯一先発したものの打ち込ませれ、すぐに橋本投手が出てくるとう試合でした。決勝戦で2つのスクイズで敗れた関大一高は、次世代では逆に大事な場面では徹底したスクイズで点を積み上げ、春の甲子園準優勝、夏の甲子園ベスト8まで登り詰めた。
このコメントを読むだけでも、やはり改めてあの松坂世代というのは一体何者だったのだろう??と感じてしまう。松坂が比較にならない程ずば抜けていたとはいえ、全国から集まってきた選手たちも、あと一つ学年が違えば、みんな主役級ばかりだった。
@@mittyatyaこの年に横浜高校が甲子園に出てたら、どこまでいけたんだろうね。球速だけっだったら、2年の時からすでに高校生で一番だった記憶がある
昔の履正社の選手って細いですね。当時はPLや上宮がまだ強い時代で、今程履正社に優秀な選手は集まらなかったと思う。甲子園に出ても、勝ち上がるだけの力はまだなかったんでしょうね。
決勝でスクイズ決めたフルヤって王子製紙で都市対抗優勝したフルヤだと思う。関大一高の久保はこのときはエースじゃなかったのね
この年(97年)をもって日生球場の使用が終了となる
この年にバント戦法で勝ってしまったことが、長らく尾を引くことになる
何ですかそれは…
神前さん?
当時の履正社岡田監督といえば、バントバントの人ですからね
PLの最後の送球凄過ぎだろ
甲子園の初戦はホームスチール失敗で負けてしまいましたな。
PL学園は泉尾高校には苦戦していましたね。KKのいた85年も準決勝で苦戦、91年は逆転負けをしましたよね。相性というがあるのでしょうね。
当時の履正社は「目指せ大阪ベスト8」くらいの立ち位置で小川投手を軸にあれよあれよと勝ち上がった。でも甲子園初戦で当時は目指せ初戦突破の専大北上(岩手)にロースコアで敗れ(しかも最後が締まらない負け方)、閉会式では高野連の会長から「りしょうしゃ」と誤読され散々だった。よくぞここまで登り詰めたもんや…アッパレ!
この年の履正社はチーム打率2割5分もなかったような
この決勝戦は、ライト外野席で観ていた。優勝が決まった瞬間、履正社高校の右翼手がうずくまったまましばらく動かなかったことを憶えている。やっぱり夏は日生球場だね。
この年の大阪大会は、前年秋に無双していた上宮があっさり負けて、一転大混戦になった。
センバツベスト4の上宮がベスト8にすら届かなかったんですね。
大阪桐蔭のエース前田と金光大阪に注目が集まりました。
97年だよね。PL中村監督最後の夏だったのか。勝った履正社、たしか初戦で岩手の専大北上に敗退。だったかな?間違ってたらすいません!
中村監督は翌年の春まで指揮とってましたよ。
@@杉本幸生-h4u夏の大会はこの年までってことじゃないかな
ABCアナウンサー時代の清水先生の声が。
関大一2年の久保康友が投げてましたね~
3:19
関大一高、決勝で負けてもう二度と甲子園ないと思ったが、翌年久保投手で出てきて良かった。
甲子園では初戦敗退でしたね
履正社って97年だっけ?そこから久宝寺の電光掲示板全く変わってないんだなにしても結局出場するのは私学とはいえ戦力差がそれほど大きくなくてこの頃の方が面白いねにしても履正社のエースほっそいほっそい中学生みたい
今スコアボードの工事やっとるらしい
専大北上(岩手)に初戦で負けたね
あの時に大阪の恥とか言われたらしいです岡田前監督も言われたから全国制覇するまでに成長が出来たと言ってましたね
首都圏の人間なのであまり語れませんが、この年は完全に大阪勢谷間の年だったのでしょうね。春の上宮が相当ハイレベルだっただけに、まさか体重60キロ未満の華奢なエース擁する履正社がそもそも代表になるなんて思いもしませんでした。今なら甲子園初戦敗退によって、大阪の恥と言われることはまずないと思いますが、当時はだいぶましになったとはいえ、まだまだ弱い東北勢、その中でもかなり弱い岩手に負けたのでそのように言われたのでしょうね。本当にたったの10年ちょっとでかなり時代が変わった。ちなみに当時の専大北上の2年生エースは、お兄さんの方の畠山投手でしたね(弟は元ヤクルト)。翌年松坂世代の大会では、3年生になったお兄さんの畠山と、入学して間もない1年生の畠山が兄弟そろって専大北上ナインとして出場しました。
大坂学院の付属だったんだ
泉尾、門真はもうない、、
大阪府立泉尾高校(大阪市大正区泉尾)2016年11月の教育委員会会議にて、大阪府立大正高校と再編統合される事が決定。2018年4月1日に両校は統合され、泉尾高校校地に、大阪府立大正白稜高校が開校。2020年3月31日に大阪府立泉尾高校が閉校。大阪府立門真高校(大阪府門真市島頭)1999年11月に大阪府立門真南高校との統合方針が決定。2000年1月の大阪府議会での条例可決により、大阪府立門真なみはや高校の設置が決定。2001年1月1日に、大阪府条例により、大阪府立門真高校校地に、大阪府立門真なみはや高校を設置。2001年4月1日に大阪府立門真なみはや高校が開校。2003年3月31日に大阪府立門真高校が閉校。
山田哲人選手の母校です
山田哲人選手以外の履正社高校OBのプロ及び元プロ野球選手〈※大阪福島商業高校は履正社高校の前身〉岸田護投手(東北福祉大→NTT西日本→オリックス)寺島成輝投手(東京ヤクルト)益山性旭投手(大阪福島商業高校→帝京大→阪神)鍋屋道夫投手(大阪福島商業高校→日本楽器→広島東洋→日本ハム)田上奏大投手(福岡ソフトバンク)内星龍投手(東北楽天)坂本誠志郎捕手(明治大→阪神)T-岡田[岡田貴弘]内野手(オリックス)土井健大捕手(オリックス→巨人)大原徹也内野手(大阪福島商業高校→太平洋クラブ・クラウンライター・西武→広島東洋→近鉄)安田尚憲内野手(千葉ロッテ)宮本丈内野手(奈良学園大→東京ヤクルト)中山翔太外野手(法政大→東京ヤクルト→火の国サラマンダーズ)井上広大外野手(阪神)小深田大地内野手(横浜DeNA)
ホームスチール失敗は印象的
この夏、上宮にサヨナラ勝ちしたゲームからずっと観に行ってた。決勝で負けた夜、河内国分駅前の居酒屋で3時間泣いてた。橋本くんが甲子園で投げるのを見たかったなぁ。小川くんが関大に来て活躍してくれたのは嬉しかった。
橋本は関大ではアカンかったのかな?
日生球場なつかしい。
この次の年が松阪世代??
そうですね!!その年は記念大会だったので大阪からは関大一とPLの2校が出場してましたね
YES。改めて凄い世代だ。この映像にも既に2年生の久保投手がいるように、どの地区でも既に松坂世代は2年生の段階でかなり力を発揮している。この年も平安の左腕川口、敦賀気比の右腕三上などの注目の好投手が取沙汰されたが、翌年のハイレベルな松坂世代の大活躍と熱狂ぶりが相まって、完全に影にかくれ、単なる伏線で終わってしまった。
ロッテの良寛がいる
4:30
大阪は昔から戦国時代やな
PL倒して決勝にも進めないとかやってられんわ😂
初出場って戦前じゃなかったけ?
履正社はこの年が初出場で合ってますね
親戚の姉ちゃんの母校の春日丘は偏差値も高いんだよな⤴︎泉尾は叔母さんの母校で、私の実家は履正社の近所昔は福島商業って名前で糞アホな高校だったらしいで私はリトル時代に日生のスタンドにホームランを放った位だから激狭い
正式には大阪福島商業って名前ですね糞アホな高校だと大阪の人に聞いたけど大阪の私立3Kによりはマシと聞いたけどね
OBで漫才のおぼんこぼん師匠曰く「50m20秒で走れたら入学できた」とか😅
このぐらいのピッチャーの球だと今なら大阪桐蔭に20点ぐらい取られるかもしれんなぁ
間違いなくそうでしょうね。私は首都圏の人間ですが、当時映像を見ていて、何故あの大阪からこのチームが出てきたのか不明でした。この年の選抜は上宮が相当レベルの高いチームを作って勝ち上がり、絶対優勝と思いましたがまさかのベスト4。まあ夏は間違いなく余裕でもう一度やって来ると思いきや、結果このような肩透かし。翌年はご存じ松坂世代がこぞって超ハイレベルな甲子園を展開。既にこの映像に関大一の2年生久保がいることから、その片鱗が伺えるのですが、それにしても、このチームとこの投手で何故大阪代表に??と当時ビックリしました。173センチ59キロの投手でしたっけ。甲子園では、当時まだレベルの低かった東北勢の専大北上に初戦、ロースコアで惜敗。その専大北上も次の試合で大敗。今見ても、甲子園決勝に進んだ平安の川口投手は、4日連続4連投とは思えないような凄いボールを投げているので、この年の大阪は本当に大番狂わせだったと思います。ruclips.net/video/gU2Dh53kfqE/видео.htmlでも履正社としてはここから常勝軍団になっていくわけで。
専大北上に大惨敗。
最初いつのかわからなかったけど関大一の久保でようやくわかったさらに久保がエースナンバーじゃないので97か96年ぐらいの目星はついた
この夏、大阪代表として甲子園に出場した履正社でしたが、一回戦で岩手代表校に敗退。
アナウンサーの「大阪代表校が岩手代表校に敗れるのは史上初です」が記憶に残っています。
履正社岡田監督若いですねぇ。確か履正社の小川投手は女性にモテモテでした。
確かこの年、履正社は、初出場で初戦敗退したがこの年の決勝は、智弁和歌山対平安だったのを思い出されるね。😊
この頃の大阪、おもしろかっただろうな~。
この夏は履正社、大阪桐蔭に勝ちましたね。
大阪桐蔭も今のような常勝でなければ、履正社もまだ強豪との地位を築いてない時代でしたけど。
1997年の甲子園への道かぁ、懐かしい。
赤江珠緒アナの声が聴こえるw
何でこのピッチャーが大阪で優勝??というコメントが散見されますが、この履正社の小川投手は、小学生の頃は寺内メッツというチームで大阪府下で無双状態で、小学6年生の頃からPL学園からスカウトが来てた。
それでも同年春の上宮が相当完成度高かっただけに、意外な結果だったのでしょう。
翌年松坂世代では、映像に映っている関大一の久保投手が、やはり相当ハイレベルな投球をし、総合力も高かったですから。
振り返ると、結果的に完全に大阪谷間の年になってしまいました。
初戦はヤクルト畠山のお兄さんがエースだった専大北上に負けたとはいえ、当時まだ弱かった岩手に負けたわけで。
そして何よりも173センチ、60キロの軟投派投手が、まさかあの地獄の大阪を勝ち抜いただなんて、それこそ首都圏出身で、大阪の事情をよく知らない我々からしたら、??という反応しかなかったです。
全国区では、当時平安川口が主役として報道されており、彼とは真反対にも程があるタイプの投手でしたから、最後まで、えっ!?なんで!?関西最強の大阪からは、川口をも打ち砕くような大型チーム、剛腕エースが夏こそ出てくるはずでしょ!?と言う感じでした。
6:46 投げ方凄いな
CG?AI?
夏の大阪大会決勝が
豊中市にある学校と吹田市にある学校の
北摂対決って珍しいですね
履正社が選手権優勝した時も寺島の時も予選決勝は高槻の金光だしそれほど珍しくもない
2018年大阪桐蔭史上初の春夏連覇に平成最後のチャンピオンに、2019年令和の新王者誕生履正社高校初優勝しました、
大阪桐蔭の優勝は春4回、夏5回、春夏連覇2回制覇しプロ野球選手とメジャーリーグな盛ん、中田翔、藤浪晋太郎、根尾選手など。
日生球場最後の試合から新時代が幕を開けた訳ですな。
やっぱ若いっていいなぁ 岡田監督も覇気がある
履正社、春夏通じて初めての甲子園出場。甲子園では初戦9回2-0から粘って2-1にして二塁、三塁とチャンスを広げるが、最後はホームスチール失敗という何ともわけのわからない終わり方でゲームセット。
関大一惜しかったけど、
翌年甲子園春夏連続出場し
センバツ準優勝!夏8
この年は松坂世代の前年の年やな
関大一校は久保で選抜準優勝
改めて松坂世代って恐ろしい。何であの代にあれだけ固まったのだろう?
2年生夏のこの段階で殆どがレギュラーを取っていて、藤川球児は実際この年の夏に甲子園。豊田大谷の古木もこの年の夏から2年連続。この年は決勝で堀越に敗れ、甲子園に行けなかった東京の創価にも既に2年生の小谷野がレギュラーとして大活躍。
岡田監督がすげー若い
現在は、東洋大姫路高校の監督ですね
監督の選手時代とか見ると若いなって思う。当たり前だけど。
この年は、上宮がスター集団と言われ、大学生すら上宮に勝てないと言われていた。
その上宮を4回戦で撃破したのが関大一高。余裕をかます上宮に、必死に食らいつく関大一高。なかなか優位に試合を進めれずに上宮は徐々に焦りが見え、大応援の関大一高が一気に押し込んだという試合でした。
翌年大ブレイクする2年生の久保投手は、当時はエース橋本投手に全く及ばず、連投対策で春日丘戦に唯一先発したものの打ち込ませれ、すぐに橋本投手が出てくるとう試合でした。
決勝戦で2つのスクイズで敗れた関大一高は、次世代では逆に大事な場面では徹底したスクイズで点を積み上げ、春の甲子園準優勝、夏の甲子園ベスト8まで登り詰めた。
このコメントを読むだけでも、やはり改めてあの松坂世代というのは一体何者だったのだろう??と感じてしまう。
松坂が比較にならない程ずば抜けていたとはいえ、全国から集まってきた選手たちも、あと一つ学年が違えば、みんな主役級ばかりだった。
@@mittyatyaこの年に横浜高校が甲子園に出てたら、どこまでいけたんだろうね。球速だけっだったら、2年の時からすでに高校生で一番だった記憶がある
昔の履正社の選手って細いですね。
当時はPLや上宮がまだ強い時代で、今程履正社に優秀な選手は集まらなかったと思う。
甲子園に出ても、勝ち上がるだけの力はまだなかったんでしょうね。
決勝でスクイズ決めたフルヤって王子製紙で都市対抗優勝したフルヤだと思う。
関大一高の久保はこのときはエースじゃなかったのね
この年(97年)をもって日生球場の使用が終了となる
この年にバント戦法で勝ってしまったことが、長らく尾を引くことになる
何ですかそれは…
神前さん?
当時の履正社岡田監督といえば、バントバントの人ですからね
PLの最後の送球凄過ぎだろ
甲子園の初戦はホームスチール失敗で負けてしまいましたな。
PL学園は泉尾高校には苦戦していましたね。KKのいた85年も準決勝で苦戦、91年は逆転負けをしましたよね。相性というがあるのでしょうね。
当時の履正社は「目指せ大阪ベスト8」くらいの立ち位置で小川投手を軸にあれよあれよと勝ち上がった。
でも甲子園初戦で当時は目指せ初戦突破の専大北上(岩手)にロースコアで敗れ(しかも最後が締まらない負け方)、閉会式では高野連の会長から「りしょうしゃ」と誤読され散々だった。
よくぞここまで登り詰めたもんや…アッパレ!
この年の履正社はチーム打率2割5分もなかったような
この決勝戦は、ライト外野席で観ていた。優勝が決まった瞬間、履正社高校の右翼手がうずくまったまましばらく動かなかったことを憶えている。
やっぱり夏は日生球場だね。
この年の大阪大会は、前年秋に無双していた上宮があっさり負けて、一転大混戦になった。
センバツベスト4の上宮がベスト8にすら届かなかったんですね。
大阪桐蔭のエース前田と金光大阪に注目が集まりました。
97年だよね。PL中村監督最後の夏だったのか。
勝った履正社、たしか初戦で岩手の専大北上に敗退。だったかな?間違ってたらすいません!
中村監督は翌年の春まで指揮とってましたよ。
@@杉本幸生-h4u夏の大会はこの年までってことじゃないかな
ABCアナウンサー時代の清水先生の声が。
関大一2年の久保康友が投げてましたね~
3:19
関大一高、決勝で負けてもう二度と甲子園ないと思ったが、翌年久保投手で出てきて良かった。
甲子園では初戦敗退でしたね
履正社って97年だっけ?そこから久宝寺の電光掲示板全く変わってないんだな
にしても結局出場するのは私学とはいえ戦力差がそれほど大きくなくてこの頃の方が面白いね
にしても履正社のエースほっそいほっそい中学生みたい
今スコアボードの工事やっとるらしい
専大北上(岩手)に初戦で負けたね
あの時に大阪の恥とか言われたらしいです
岡田前監督も言われたから
全国制覇するまでに成長が出来たと
言ってましたね
首都圏の人間なのであまり語れませんが、この年は完全に大阪勢谷間の年だったのでしょうね。春の上宮が相当ハイレベルだっただけに、まさか体重60キロ未満の華奢なエース擁する履正社がそもそも代表になるなんて思いもしませんでした。
今なら甲子園初戦敗退によって、大阪の恥と言われることはまずないと思いますが、当時はだいぶましになったとはいえ、まだまだ弱い東北勢、その中でもかなり弱い岩手に負けたのでそのように言われたのでしょうね。
本当にたったの10年ちょっとでかなり時代が変わった。ちなみに当時の専大北上の2年生エースは、お兄さんの方の畠山投手でしたね(弟は元ヤクルト)。
翌年松坂世代の大会では、3年生になったお兄さんの畠山と、入学して間もない1年生の畠山が兄弟そろって専大北上ナインとして出場しました。
大坂学院の付属だったんだ
泉尾、門真はもうない、、
大阪府立泉尾高校(大阪市大正区泉尾)
2016年11月の教育委員会会議にて、大阪府立大正高校と再編統合される事が決定。
2018年4月1日に両校は統合され、泉尾高校校地に、大阪府立大正白稜高校が開校。2020年3月31日に大阪府立泉尾高校が閉校。
大阪府立門真高校(大阪府門真市島頭)
1999年11月に大阪府立門真南高校との統合方針が決定。
2000年1月の大阪府議会での条例可決により、大阪府立門真なみはや高校の設置が決定。
2001年1月1日に、大阪府条例により、大阪府立門真高校校地に、大阪府立門真なみはや高校を設置。
2001年4月1日に大阪府立門真なみはや高校が開校。
2003年3月31日に大阪府立門真高校が閉校。
山田哲人選手の母校です
山田哲人選手以外の履正社高校OBのプロ及び元プロ野球選手
〈※大阪福島商業高校は履正社高校の前身〉
岸田護投手(東北福祉大→NTT西日本→オリックス)
寺島成輝投手(東京ヤクルト)
益山性旭投手(大阪福島商業高校→帝京大→阪神)
鍋屋道夫投手(大阪福島商業高校→日本楽器→広島東洋→日本ハム)
田上奏大投手(福岡ソフトバンク)
内星龍投手(東北楽天)
坂本誠志郎捕手(明治大→阪神)
T-岡田[岡田貴弘]内野手(オリックス)
土井健大捕手(オリックス→巨人)
大原徹也内野手(大阪福島商業高校→太平洋クラブ・クラウンライター・西武→広島東洋→近鉄)
安田尚憲内野手(千葉ロッテ)
宮本丈内野手(奈良学園大→東京ヤクルト)
中山翔太外野手(法政大→東京ヤクルト→火の国サラマンダーズ)
井上広大外野手(阪神)
小深田大地内野手(横浜DeNA)
ホームスチール失敗は印象的
この夏、上宮にサヨナラ勝ちしたゲームからずっと観に行ってた。
決勝で負けた夜、河内国分駅前の居酒屋で3時間泣いてた。
橋本くんが甲子園で投げるのを見たかったなぁ。
小川くんが関大に来て活躍してくれたのは嬉しかった。
橋本は関大ではアカンかったのかな?
日生球場なつかしい。
この次の年が松阪世代??
そうですね!!その年は記念大会だったので大阪からは関大一とPLの2校が出場してましたね
YES。改めて凄い世代だ。この映像にも既に2年生の久保投手がいるように、どの地区でも既に松坂世代は2年生の段階でかなり力を発揮している。
この年も平安の左腕川口、敦賀気比の右腕三上などの注目の好投手が取沙汰されたが、翌年のハイレベルな松坂世代の大活躍と熱狂ぶりが相まって、完全に影にかくれ、単なる伏線で終わってしまった。
ロッテの良寛がいる
4:30
大阪は昔から戦国時代
やな
PL倒して決勝にも進めないとかやってられんわ😂
初出場って戦前じゃなかったけ?
履正社はこの年が初出場で合ってますね
親戚の姉ちゃんの母校の春日丘は偏差値も高いんだよな⤴︎
泉尾は叔母さんの母校で、私の実家は
履正社の近所
昔は福島商業って名前で糞アホな高校
だったらしい
で私はリトル時代に日生のスタンドに
ホームランを放った位だから激狭い
正式には大阪福島商業って名前ですね
糞アホな高校だと大阪の人に聞いたけど
大阪の私立3Kによりはマシと聞いたけどね
OBで漫才のおぼんこぼん師匠曰く
「50m20秒で走れたら入学できた」
とか😅
このぐらいのピッチャーの球だと今なら大阪桐蔭に20点ぐらい取られるかもしれんなぁ
間違いなくそうでしょうね。私は首都圏の人間ですが、当時映像を見ていて、何故あの大阪からこのチームが出てきたのか不明でした。
この年の選抜は上宮が相当レベルの高いチームを作って勝ち上がり、絶対優勝と思いましたがまさかのベスト4。
まあ夏は間違いなく余裕でもう一度やって来ると思いきや、結果このような肩透かし。
翌年はご存じ松坂世代がこぞって超ハイレベルな甲子園を展開。既にこの映像に関大一の2年生久保がいることから、その片鱗が伺えるのですが、それにしても、このチームとこの投手で何故大阪代表に??と当時ビックリしました。
173センチ59キロの投手でしたっけ。甲子園では、当時まだレベルの低かった東北勢の専大北上に初戦、ロースコアで惜敗。その専大北上も次の試合で大敗。
今見ても、甲子園決勝に進んだ平安の川口投手は、4日連続4連投とは思えないような凄いボールを投げているので、この年の大阪は本当に大番狂わせだったと思います。
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でも履正社としてはここから常勝軍団になっていくわけで。
専大北上に大惨敗。
最初いつのかわからなかったけど
関大一の久保でようやくわかった
さらに久保がエースナンバーじゃないので
97か96年ぐらいの目星はついた
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